Ser.1-3 何かしてあげたい気持ちの落とし穴

〜テーマ:「話をきいてもらえた」と感じるとき(第3回)〜

前回までは、上司からの良かれと思ったアドバイスに心を閉ざしてしまった山城さんのケースと、「アドバイスが欲しかったわけじゃない!」と娘に叱られた私自身の失敗談をお届けしました。

今回は、話をきく側がついアドバイスしたくなってしまう「きき手の心理」について、少し深掘りしてみます。

目次

「何かしてあげたい」という優しい気持ちの落とし穴

私たちは人から困りごとを相談されたとき、「この人のために、何かできることはないか」という善意から、ほとんど無意識に「解決しようとする言葉」を、相手の心の準備(あるいは状況)を置き去りにしたまま発してしまうことがあります。

特に、自分が親や上司であったり、医療・介護・教育などの対人援助職に就いている方は、日々「問題を解決すること」を求められる立場にあります。だからこそ、その役割責任から「アドバイスしてあげなきゃ!」という気持ちが、人一倍強くなるのは自然なことです。

前回の私の失敗も、まさにこれでした。娘に「何かしてあげたい」「解決方法を教えて早く気持ちを楽にさせてあげたい」という親としての衝動が、聴く姿勢よりもぐっと「前のめり」になっていたのだと思います。

カウンセラーが「アドバイス」を控える理由

ここで、専門的な視点から、少し意外と思われるかもしれない話をさせてください。 私は学生時代、臨床の現場に入る前の頃、指導教官から「カウンセラーは極力、アドバイスを控えること」を徹底的に叩き込まれました。

それはどうしても必要なアドバイスなのか、自分の主観に偏っていないか、相手が今それを受け取れる状態かタイミングか、その言葉が与える影響をいくつも想定したかなど吟味しながら放つ「最後の手段」。そのように心理カウンセリングにおいて、アドバイスの優先順位は決して高くないのです。

なぜなら、感じ、考え、行動する「人生の主役」は、どこまでも相談者ご自身だからです。本人が心から納得していない選択や、その結果を引き受ける覚悟ができていない場合、たとえそれが『正論』であっても、相手を追い詰める『害』になりかねません。そこに、その人を支える周囲の環境が整っていなければ、なおさらです。

しかし何より、「正解を教えてあげよう」と頭が解決モードになって相手の話をきいている状態では、目の前の相手の話を「聴く」ことは不可能でしょう。

「聴く」に徹しているときの表情は、見られている

「本当に、聴くに徹しているか」は、私たちの表情や態度に恐ろしいほど実直に表れます。

相手の話のまだ途中から、「次に何て言おうか」とか「それは違うんじゃないか」とか、きく側が頭の中で解決策や反論を準備しながらきいているならば、 自分では隠しているつもりでも、微かな目線の動きや表情の硬さから、相手はこちらの『頭の動き』を敏感に察知してしまいます。そして「あ、これ以上話しても無駄だな」と心を閉ざしてしまうのです。

もし身近な人が途中で話をグッと飲み込んでしまったとしたら……。「もっと話して?」と促す前に、まずは自分の表情が相手の口を閉ざさせていないか、振り返ってみる必要があるかもしれません。

「すぐに助けたい衝動」と「聴くに徹するエネルギー」の引っ張り合い

さて、私の失敗談には、実は微笑ましい続きがあります。なんと娘が、私にもう一度「聴くチャンス」を与えてくれたのです。 「じゃあ、最初からやり直すからね!」

そんな子どもらしい提案に救われ、私は今度こそ「聴く姿勢」に徹しようと、大真面目に聴き手の席につきました。

ところが、です。娘の話を遮らずに聴きながらも、私の内側ではやはり『何かを教えてあげたい』という衝動がムクムクと湧き上がってきます。

結果として、話し終えた娘の表情はパッと明るくなり、任務は無事に大成功を収めました。……のはずなのですが、私の心にはどこか消化しきれないモヤモヤが残ったのです。どこかで「親としての言いたい正論」を引っ込めた名残り惜しさがあったのでしょう。

そのとき、大学時代の指導教官の言葉が鮮やかによみがえりました。 「自分にとってうまくいったと感じたカウンセリングほど、相談者はそう感じていないことが多い」と。

これはマネジメントや、人を育てる現場でも同じことが言えるのではないでしょうか。

「何か教えてあげたい」という自分の欲求を満たせば、伝えた本人は満足します。しかし、相手がそれを望んでいなければ、それはただの押し付けになってしまいます。

日常の人間関係では、娘がしてくれたような「やり直しのチャンス」をもらえることは、まずありません。

自分では気づかないうちに、「この人に話しても仕方がない」と周囲を諦めさせてしまった瞬間が、これまでにどれほどあっただろうか――。

娘との大失敗談は、聴くことを生業としている私の身が引き締まる、大切な教訓となりました。

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