Ser.1-4 聴いてもらう人から聴く人へ

〜テーマ:「話をきいてもらえた」と感じるとき(最終回)〜

これまで3回にわたり、相談者の山城さんのケースや私自身の苦い失敗談を通して、「話をきいてもらえた」という安心感をもたらすための心の構造を探ってきました。

言葉になっていない背景やこぼれ落ちそうな感情までを丸ごと受け止める「聴く」姿勢。そして、「何かしてあげたい」という善意の衝動を、聴く姿勢よりも前のめりにさせないこと――。

では、そのように深く「聴いてもらう」とき、話す側の心の中では一体何が起きているのでしょうか。なぜ「ただ聴くこと」が、それほどまでに大切な意味を持つのでしょう。

目次

感情を安全に解放できる場所

自分が体験した出来事を言葉にするとき、私たちの心には、そのときに味わった怒り、悲しみ、悔しさ、あるいは喜びといった感情が、もう一度リアルによみがえってきます。

感情が動くとき、私たちの心も身体も、大なり小なり揺さぶられるものです。言葉にした瞬間に、それまで張り詰めていた緊張が緩んで、意図せず涙があふれてくることがあるように。

だからこそ、「ここではどんな感情を出しても大丈夫だ」と、自分の弱さも丸ごと差し出せる安全な場所がないと、人は本当の気持ちを心の一番奥底にぎゅっと押し込めてしまうことがあります。

けれども、感情を無理に抑え込んでしまうと、かえってその出来事を乗り越え、次の一歩を踏み出すことが難しくなってしまうのもまた、真実です。

相手のペースを尊重してじっくりと聴く姿勢は、その人が自分自身の力でその体験を咀嚼し、受け入れていくための静かな支えになります。

ただ「聴いてもらうこと」には、ときに的確なアドバイスをもらうことに勝るとも劣らない、人間の本来の力を引き出す計り知れない価値があるのです。

「ただ、話を聴いてもらえたから」

対人援助職の方々は、目の前の人々に寄り添う仕事ゆえに、自分自身の心も大きく揺さぶられやすい立場にあります。

これは私自身が病院や介護施設の職員相談室でお話をうかがっていて実感したことですが、日々、誰かのために心を尽くしている人ほど、自分の心を安全に解放し、誰かに話を聴いてもらう場所を必要としていませんか?

さて、ある日のこと。しばらく顔を見なかった2年目の看護師の青井さん(仮名)が、相談室にひょっこり顔を出しました。ある時期は悩み多き新人として足繁く相談室に通っていた彼女も、次第に状態が落ち着き、今回は半年以上ぶりの来室でした。

「特に困ったことはないんですけど、ちょっといいですか?」

笑顔で現れた青井さんは、今年から後輩ができたそうで、どこか少し先輩らしい、頼もしい表情に変わっていました。そして、私にこう言ってくれたのです。

「ここで話を聴いてもらって……ただただ、話を聴いてもらえたから、私、ここまで頑張ってこられた気がします。私、こう見えても今、後輩の指導をしているんですよ。教え方は上手じゃないですけど、でも『話を聴く』ってこと、それだけは本当に頑張っています!」

それは、私にとって大変嬉しい報告でした。実は彼女には、以前あの「私の娘との大失敗談」を話したことがあったのですが、それも強く印象に残っていたのだと、このとき愛おしそうに教えてくれました。

聴くに徹することは、最高のエールになる

『誰かに深く話を聴いてもらう体験をして、人は初めて、「聴くことの大切さ」を身をもって実感できるようになる。』

心理学の本の中で、これに似たフレーズを幾度か目にしたことがありましたが、目の前の青井さんの瑞々しい成長を通して、私はその普遍的な真理を、心の底から教えてもらった気がしました。

ただただ、相手の話を聴くに徹してみる。 それは、目の前の相手にとって、どのような的確なアドバイスをもらうことにも勝る「最高のエール」になるはずです。

全4回にわたり、最後までお読みくださりありがとうございました。 次からは、また新しいテーマでお届けします。

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