Ser.3-2 職場の「空気」と「無意識の観客」

〜テーマ3:「言葉は自分だけのものではない」(第2回)〜

前回は、他者から自分に直接発せられた言葉によって心の痛みを感じた事例を取り上げました。 「つい」という気の緩みや衝動から口に出た言葉が、たとえ故意ではなかったとしても、相手の心に深い傷を残してしまうこと。

そしてそれは、その言葉を一番近くで聞いている自分自身が、自分の言葉の持つとげとげしさを感じない状態、SOSのサインかもしれないーー。

そんなお話をしました。今回は一歩進んで、「自分に直接言われたわけではない言葉」に心を痛めているケースです。

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直接言われたわけではないけれど

「ナースステーションで、スタッフや患者様の悪口、病院に対する批判を、みんなに聞こえるように大きな声で言う人がいるんです。特に青間さんがすごくて……。周りにも賛同を求めてくるような話し方なんです。だから彼女と勤務が一緒になると、賛同を求められるのが怖くて気分が重くなります。

それに、誰も注意をしないんですよ。他の人は何とも思っていないのかなって……誰にも言えず、もう我慢ならずにここに来ました」

言いたいことを言い切った、という表情で、フーッと大きな息を吐き出した黄山さん。 看護師歴4年目、この病院に入職して1年目です。話題に上っている青間さんは看護師7年目。1年目から今の病棟で働いており、病棟では一番の古株でした。

「うーん、黄山さんの病棟ではそんな雰囲気があるんですね。前にいた病院では、そういうことはなかったのですか?」

他院での経験がある看護師は、その職場しか知らない人よりも、組織や病棟の持つ特有の「空気感」を鋭く捉えていることがありますので、私はそう尋ねてみました。

「全くなかったわけではありませんけど、こんな気持ちになるのは初めてです。この病院の特徴か、この病棟のものかは分かりません。でも、お互いに馴れ合いの感じで、ちょっと青間さんが度を過ぎたことを言っても、笑って聞き流して注意をしない。その雰囲気も、とても気になります」

「なるほど……。ところで、そんなとき黄山さんはどうやってやり過ごしているんですか?」

「可能なときはその場を離れるようにしていますが、どうしても離れられないことも多くて。耳を塞ぐこともできませんし、先輩に注意することもできません。だから仕方なく、その場でじっと我慢しているんです。そうすると、だんだん身体がこわばってきて、気分も悪くなってきて……」

私は人の話を聞くことが仕事ですが、他人の批判ばかりする人の話を長く聞いていると、独特の感覚に襲われることがあります。 何かべっとりとしたものが、全身の皮膚を覆ってくるような感覚。ヘドロの中で、鳥が身動きを取れずに固まっているようなイメージです。黄山さんも、まさにそんな状態ではないかと想像しました。

自分の外に出た言葉には「観客」が存在する

自分が発した言葉は、本人の意図とは関係なく、それを耳にした人の心や身体に確実な影響を与えます。

自分の言葉が届く距離に他者がいる場合、そのスペース(空間)は自分だけの自由な場所ではなく、他者と共有しているという意味では“公的スペース”、「あなたに直接言っているわけではない」という言い分は、本来成り立ちません。

人前で発した声には、本人の意思に関わらず、それを見たり聞いたりしている「観客」が存在します。

その観客が集団であるとき、発せられた声は「同調を求める圧力」となって、周りを巻き込むエネルギーを帯びていくことがあります。黄山さんによると、病棟の他のスタッフも、青間さんの悪口に引きずられるように同調し、その場を盛り上げてしまうことがあるようでした。

黄山さんは、「いっそ自分も一緒に盛り上がってしまったほうが楽かもしれない、と思うことがある」と呟いていました。それくらい、あえて同調しないという選択は、容易なことではありません。

ここで、黄山さんが指摘した「馴れ合い」という言葉について考えてみます。 興味深いことに、「慣れ合う」という言葉には、互いに親しむという意味のほかに、「共謀する」「グルになる」という意味も含まれています。 馴れ合いの関係性の中では、どこか悪いことだと分かっていても、「つい」という気の緩みや衝動が、集団全体として起こりやすくなってしまうのです。

自分たちの言動によって嫌な気分になっている他者の存在に、気づかない。 あるいは、気づいていてもその場に波風を立てないよう、自分の感覚を麻痺させてやり過ごす。

たとえ後者であっても、それは組織や集団による「他者への無関心」という状態です。

けれど、自分の感覚を眠らせているように見える人たちの中にも、黄山さんと同じように心が傷つき、耐えている人がいるのかもしれません。ただそれを、周りに見せていないだけで。そこで次のように言ってみました。

「人の気持ちを確かめることは難しいけれど、『みんな平気なんだ』と決めつけてしまうのは、自分を苦しくさせてしまうかもしれないね」

すると黄山さんは顔をぱっとあげ、少し間を置いてから言いました。

「……確かに……決めつけてしまっていますね。冷静になって考えると……」

そこでその決めつけをひとまず横に置いておきながら、次の作戦会議を進めていこうということになりましたが、黄山さんとの今日の時間は、ここでタイムアップとなりました。

私の頭の中には、ぐるぐると巡るある問いが残りました。

「青間さんは、後輩がこのような苦しさを抱えているとは1ミリも想像していないのではないか? もしこれを知ったら、青間さんはどう感じるのだろうか?」

そんな思考が巡る中、私はロッカー室で、偶然青間さんと2人きりになるのですーー。

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